依田記
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概要[編集]
著者・成立年代[編集]
全1巻であるが、前半が寛永20年(1643年)7月の成立。ところが、この前半を呼んだ大納言なる人物が著者に対し、前半の内容を裏付ける証文を差し出すように命じたとされ、著者は2か月後の9月に命令通りに豊臣秀吉と徳川家康・秀忠父子から依田氏に与えられたとする証文や書状を書き写して提出し、後半部分にはこれらの人物からもらった書状の由来や来歴について書いている。ただ、依田記そのものには書状などは収録されていない。
著者は依田信蕃の次男・依田康真(あるいは康勝)。父と兄・康国の死去により、依田氏の家督を継承して徳川家康から3万石を与えられていたが、囲碁の勝負で旗本を殺害したことから出奔して改易。後に結城秀康の福井藩に仕えた。この依田記は、福井藩士の時代に成立させたものである。
内容[編集]
著者の父親・依田信蕃の1代記である。全1巻で、依田記とはそのまま姓をとったもの。別称として『芦田記』(あしだき)とあるが、これは信蕃の居城が信濃国佐久郡芦田にあったことからに由来するという。
依田信蕃の出生から、武田信玄・勝頼父子の時代における信蕃の事績、織田信長の武田征伐の際に家康に助けられた経緯、信長没後の天正壬午の乱における活躍と戦死までを描いている。
前述しているが、後半は秀吉や家康から受けた10通の証文や書状の来歴について説明している。