佐竹 義秀(さたけ よしひで、? - 天正9年(1581年))は、安土桃山時代の武将。長宗我部氏の家臣。佐竹親直の父[1]。
兄弟に義直、甥に親辰がいる。通称は太郎兵衛尉。長宗我部元親に仕えて土佐国高岡郡上ノ加江城主に任命されていた。天正9年(1581年)、伊予国深田城攻めで戦死。家督は子の親直が継承した[1]。