佐竹義直 (土佐佐竹氏)
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佐竹 義直(さたけ よしなお、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。土佐一条氏、後に長宗我部氏の家臣。受領名は信濃守。佐竹親直の叔父[1]。
略歴[編集]
兄弟に義秀がいる。義直は最初、土佐一条氏に仕えていたが[1]、元亀2年(1571年)に長宗我部元親が高岡郡蓮池城を攻撃する際に元親に内応し、その際に「秋はてば一でう冬にかかるべし。又こむはるをなにと信州」と高札に書いた歌が義直の居城である高岡郡久礼城の城下に立てられたという。その後は元親配下の武将としてその地位を保証された[2]。
死後、家督は子の親辰が継承した。法号は竹甫常賢。墓所は久礼北谷の常賢寺[2]。