伴野 光信(ともの みつのぶ)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。信濃前山城主[1]。諱の光信は誤伝とされ、貞慶が諱の可能性もある[1]。官途は刑部大輔か[1]。
伴野氏は小笠原氏の一族で、大井氏と紛争を繰り返した[1]。よほど激しい争いのためか、永正6年(1509年)に室町幕府により調停を受けている[1]。大永7年(1527年)に大井氏との紛争に敗れて信虎を頼り、その支援を受けて所領に復帰した[1]。信虎が信濃攻めを開始すると前山城は甲斐武田氏の拠点として利用され、この過程で没落したとされる[2]。