今津雅仁
今津 雅仁(いまづ まさと、1957年2月15日 -)は日本のジャズ・テナーサックス奏者。神戸市出身。
経歴[編集]
小・中学校のブラスバンドでトランペット、高校時代は阪急少年音楽隊にてクラリネットを担当。
1974年.高校を中退し、17歳でテナーサックス奏者としてプロデビュー。
1980年.渡米
1981年.東京での活動開始。
「今津雅仁&サックス・アピール」を吉岡秀晃らと結成。
1987年.自主製作アルバム『The Sax Appeal "VOL.1"』制作、リリース。
1988年.2月『The Sax Appeal "VOL.2"』制作、リリース。
1988年.5月『第3集/It's Too Bright』を制作、リリース。
1989年.10月.新たに結成した「今津雅仁&FUZZ MOTION」の名義で、ファンハウスよりメジャーデビュー・アルバム『MASATO』をリリース。
1990年.1月.『MASATO』《第23回日本ジャズ大賞》を受賞する[1](新人としての受賞は史上初の快挙)。
4月.『WHAT'S A MELODY』リリース。
10月.『He Said・・・』リリース。
1991年.1月.『He Said・・・』《第23回日本ジャズ大賞制作企画賞受賞》受賞。
10月.日野元彦を迎えアルバム『Hard Times』制作、リリース。
1992年.10月.『STICKY』制作、リリース。
1995年.阪神大震災で罹災した故郷の為にボランティア・コンサートやチャリティー・ライブ等、義援金集めに奔走する。
しかし、自身も母を亡くしたショックから強度の鬱病を発症する。
12月.事実上の引退。
1998年.音楽関係者、ジャズ評論家、ファンの後押しで今津の復帰企画が始まり、渋谷にて「今津雅仁&FUZZ MOTION」の復帰コンサートが実現。
1999年.2月、復帰アルバム録音の直前に交通事故に遭遇。緊急入院。
再起不能を言い渡され、入院先の栃木県那須塩原市に転居。ジャズ界を完全引退。
2000年.約1年半に渡り、リハビリ・楽器トレーニングを重ね、7月は待望の復帰アルバム『THE RETURN OF MASATO』をリリース。9月、日野皓正とのジョイントコンサートをきっかけにジャズ界へのカムバックを果たす。
2006年.11月、東京都内での演奏活動を再開し、この頃から、韓国ジャズシーンに興味を持ち始める。
2009年には韓国ソウルに単身で赴き、地元のミュージシャンたちと初のライブを敢行。韓国の一流ミュージシャン達とライブの仕事を重ねる。韓国経済雑誌「シサイン」、「東亜日報新聞」などから取材を受け、掲載される。
現在、関東を中心に九州、関西、北陸などで精力的に演奏活動を展開するとともに、新宿ドルチェ楽器・ドルチェ・アカデミー、その他東京都内各所にて後進の指導に全力を傾けている。
脚注[編集]
- ↑ 2016年7月6日、TBSの「水曜日のダウンタウン」にて「真夜中にサングラスかけてる人 スーパースターじゃないと説明つかない説」にて紹介される。