今川氏豊
ナビゲーションに移動
検索に移動
今川 氏豊(いまがわ うじとよ、大永2年(1522年) - ?)は、戦国時代の駿河の今川家の一族。今川義元の弟とされる。
生涯[編集]
今川氏親の末子で、今川氏輝、今川彦五郎、玄広恵探、象耳泉奘、そして義元の弟とされる。氏親が数えで50歳の時の息子で、『言継卿記』では天文2年(1533年)7月23日条に当時尾張勝幡城に滞在していた公家の山科言継の蹴鞠門弟に「12歳の今河竹王丸」という者がいたと記録されている。この事から氏豊の幼名は竹王丸、生年は逆算して大永2年生まれという事になる[1]。生母に関しては不詳[2]。
父の氏輝が死去した時はまだ数えで5歳だったため、義元ら他の兄弟と違い僧侶にされる事は無かった[3]。『言継卿記』の記録から氏親の死から天文2年までの7年の間に尾張名古屋の今川家を相続したものと推測されている。