今川伝記
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概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者が今川家の家臣であることはわかっている。著書の末尾に書かれたことによると、今川義元の重臣で補佐役だった雪斎が既に今川家の記録を著していたが、それは漢文体で読みにくいという問題があったので、連歌師の宗長に依頼して仮名交じりに書き下したのだという。ただ、宗長は雪斎よりかなり年上なこと、雪斎は宗長が死去した天文元年(1532年)の時点ではまだ今川家の重鎮では無かったので、これは少し疑わしい。
義元や雪斎の死後、今川家は急速に衰退し、武田信玄の駿河侵攻で今川氏真は駿河国を追われてしまう。この際に雪斎作の記録も焼失し、それから8年後に氏真が後北条氏の庇護下から駿河に帰国した際に著者が氏真に「御代々の御伝」を進上したのだという。ただ、氏真は北条氏康の死後は徳川家康を頼っており、8年後に小田原から駿河に帰国したというのもおかしい。当時の駿河は武田勝頼の支配地で氏真が戻る地などないからである。
なお、著者の名は不明だが、父の名前は宗陰とされている。
別称は『今川記』(いまがわき)。
内容[編集]
全1巻。まず今川家がどれだけの名族であるか、その発祥についてなどが記されている。南北朝時代、室町時代における今川家の事績、勢力拡大の経緯などが記されている。今川了俊や今川氏親、今川氏輝、今川義元について記され、最後は今川氏真の時に武田信玄の侵攻を受けて今川家が滅亡したと記されている。