五胡十六国時代
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五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい、304年 - 439年)は、中国における動乱時代の一つである。この時期は欧州でもゲルマン民族の大移動が行なわれているように中国でも各異民族による大移動が行なわれた時代であった。
五胡とは[編集]
胡とは「えびす」、すなわち中国から見て「異民族」を意味する。つまり5つの異民族という意味である。この五胡とは匈奴・鮮卑・羯・氐・羌を指している。ただしこの時代に活動した異民族は他にも丁零、鳥丸、夫除、高句麗、巴、蛮、胡などがあり、この五胡という名称は数の点では当時の華北の民族状況を表す言葉としては適当とは言えない。五胡という言葉が使用されたのは『晋書』后妃伝下の康献楮皇后の条にある皇太后の詔の中の「五胡が反逆している」が初見であり、これは350年頃のことである。『晋書』より成立の早い『魏書』では396年6月に初見されている。つまり4世紀半ばに五胡という言葉が成立していたと考えられる。その後の史料でも五胡という言葉が使用されていることから、6世紀までには一定の名称として普及していたと理解することができる。
十六国とは[編集]
十六国とは304年から439年までの135年間に華北で成立した王朝を総称して示す言葉とされている。ただしこの時期はこの十六国以外にも成立していた王朝は数多くあり、十六が決して正確な数字を表しているわけではない。なお、中国では「十六国時期」という言い方が一般的に用いられる。
一般的に十六国とされているのは前趙、後趙、成漢、前燕、前涼、前秦、後秦、西秦、後燕、南燕、北燕、夏、後涼、南涼、北涼、西涼などである。