丁零

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丁零(ていれい)とは、モンゴル高原北方を本拠とするトルコ系の遊牧民族である[1]五胡十六国時代にこの遊牧民族により翟魏という中国王朝が建国された。

概要[編集]

丁零は前漢時代は匈奴に服属していたが、匈奴が後漢時代の48年に南北に分裂するとその支配から離れてモンゴル高原北部に移動した[1]。しかしモンゴル高原は当時鮮卑が支配しており、丁零はそれほど大規模に移動はできなかった[1]。鮮卑で英主と呼ばれた檀石槐が死去すると、その混乱に乗じて丁零は南下を行ない、万里の長城付近にまで進出するに至る[1]。その後は華北を制圧した曹操に従いながら中国内地に進出し、212年に曹操が孫権征伐を行なった際には鳥丸と共に傭兵として従軍している[1]。丁零は以後、三国志にも関与しながら中国内地に次々と進出して力を蓄えていった[1]

三国志が終焉して五胡十六国時代が成立するとこの民族から翟魏という王朝が建国された。ただし翟魏は余りに短命な王朝だったため、十六国には数えられていない。

脚注[編集]

  1. a b c d e f 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P14

参考文献[編集]