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五百蔵 左馬進(いおろい さまのしん、? - 天正14年12月12日(1587年1月20日))は、安土桃山時代の武将。長宗我部氏の家臣[1]。
土佐国香美郡韮生郷五百蔵城主・五百蔵筑後守の子で、五百蔵佐渡守の弟[1]。
天正14年(1586年)12月12日、弟の五百蔵六之進と共に長宗我部信親に従って九州に出陣し、戸次川の戦いで戦死した[1]。
娘がいたため、その娘に桑名親光の次男・藤次郎を婿に迎えて養子とし、その上で舅と同じ左馬進を名乗らせて2代目の五百蔵左馬進としたという[1]。
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