九鬼隆備

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九鬼 隆備(くき たかとも、天保5年5月11日1834年6月17日) - 明治30年(1897年7月13日)は、丹波綾部藩の第10代(最後)の藩主[1]

生涯[編集]

第9代主・九鬼隆都の長男。正室戸田光庸の娘、継室中西荘八郎の娘。子に九鬼隆治(長男)、娘(木村勝務室)、娘(山室某室)、娘(舟橋遂賢室)、娘(致津公煕室)、娘(野崎彦左衛門室)。官位は従五位上大隅[1]

文久元年(1861年)6月、父の隠居により家督を相続して藩主となる。幕末の動乱の中で京都の警護役をよく務め、禁門の変では御所の警固を務めた。大政奉還後は明治政府にいち早く帰順し、明治4年(1871年)に廃藩置県を迎えた。1884年には子爵に叙せられた。明治30年(1897年)7月13日に死去。享年64[1]

脚注[編集]

  1. a b c 『三百藩藩主人名事典3』P358

参考文献[編集]

  • 『三百藩藩主人名事典3』藩主人名事典編纂委員会 編、1987年。新人物往来社


先代:
九鬼隆都
九鬼家(隆季流)当主
11、13代
次代:
九鬼隆治