九鬼隆都
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九鬼 隆都(くき たかひろ、享和元年3月26日(1801年5月8日) - 明治15年(1882年)1月25日)は、丹波綾部藩の第9代藩主[1]。
生涯[編集]
第7代藩主・九鬼隆郷の次男。正室は有馬久保の娘。継室は板倉勝俊の娘。継々室は松平定永の娘。養父(兄)は九鬼隆度。子に隆備(長男)、大田原富清(次男)、隆義(三男)、一柳末徳(五男)、建部秀隆(六男)、寧隆(七男)、娘(本庄道美正室)、娘(板倉勝敬正室)、娘(石川総邦正室)。官位は従五位下、大隅守、式部少輔[1]。
文政5年(1822年)閏1月、兄で養父の隆度が隠居したため、家督を継承して藩主となる。佐藤信淵らの献策を得て産物木綿会所を設置するなど藩政改革に取り組んで藩内の復興を図る。安政2年(1855年)に講武所総裁に任命された[1]。
文久元年(1861年)6月に子の隆備に家督を譲って隠居する。明治15年(1882年)1月25日に死去。享年82[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『三百藩藩主人名事典3』藩主人名事典編纂委員会 編、1987年。新人物往来社