丸尾馨

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丸尾 馨(まるお かおる、1947年 - )は、日本医学者眼科学)、医師小説家。丸尾眼科医院院長

大阪医科大学医学部助手などを歴任した。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1947年昭和22年)、和歌山県東牟婁郡串本町にて生まれた[1]。串本町は本州の最南端に位置する町として知られている。その後、和歌山県新宮市にて育ち[1]、和歌山県により設置・運営される和歌山県立新宮高等学校を卒業した[1]。同名の学校法人により設置・運営される大阪医科大学に入学し[1][† 1][† 2]医学部にて学んだ。大学卒業にともない、医学士称号を取得した。

医学者として[編集]

医師国家試験に合格し、医師免許証を取得した。大学卒業後は、母校である大阪医科大学に採用され[1]、医学部の助手として着任した[1]。医学部においては、主として眼科講義に携わった[1]1983年(昭和58年)、京都府京都市にて丸尾眼科医院を開業した[1]。また、小説家としても活動しており、2000年には純文学作品を上梓している[1]

研究[編集]

専門は医学であり、特に眼科学といった分野の研究に従事した[1]。具体的には、さまざまな眼疾患に対するカリクレイン錠効果について研究していた[2]。また、リンデロン点眼液についても研究しており[3]二重盲検法などを用いてその有効性や安全性を検証していた[4]。そのほか、遠江国城東郡池新田村の丸尾氏について研究していた[5][† 3]。池新田村の丸尾氏は、日本で初めて近代的な眼科病院を開設した丸尾興堂をはじめ、多数の医学者を輩出している。

略歴[編集]

著作[編集]

単著[編集]

論文[編集]

  • 丸尾馨稿「0.01%Rinderon点眼液の使用経験」『眼科臨床醫報』72巻12号、眼科臨床医報会、1978年12月、1514-1516頁。テンプレート:ISSN
  • 丸尾馨ほか稿「外眼部炎症性疾患に対するリンデロン点眼液0.01%の二重盲検法による有効性、安全性の検討――デキサメタゾン点眼液0.02%、0.01%との比較」『眼科臨床醫報』74巻8号、眼科臨床医報会、1980年8月、1054-1062頁。テンプレート:ISSN
  • 橋本忠男・丸尾馨・中島正之稿「各種眼疾患に対するKallikrein錠の治療効果」『眼科臨床醫報』75巻10号、眼科臨床医報会、1981年10月、1741-1749頁。テンプレート:ISSN
  • 丸尾馨・奥沢康正稿「眼科医丸尾興堂の家系」『日本医史学雑誌』37巻2号、日本医史学会1991年4月30日、288-289頁。テンプレート:ISSN

脚注[編集]

註釈[編集]

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  1. 学校法人大阪医科大学は、学校法人大阪薬科大学と統合され、2016年学校法人大阪医科薬科大学が設置された。
  2. 大阪医科大学は、大阪薬科大学と統合され、2021年大阪医科薬科大学が設置された。
  3. 遠江国城東郡池新田村は、のちの静岡県御前崎市に該当する。

出典[編集]

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  1. a b c d e f g h i j k 丸尾馨『ナイトラン』文芸社2000年、奥付。
  2. 橋本忠男・丸尾馨・中島正之「各種眼疾患に対するKallikrein錠の治療効果」『眼科臨床醫報』75巻10号、眼科臨床医報会、1981年10月、1741-1749頁。
  3. 丸尾馨「0.01%Rinderon点眼液の使用経験」『眼科臨床醫報』72巻12号、眼科臨床医報会、1978年12月、1514-1516頁。
  4. 丸尾馨ほか「外眼部炎症性疾患に対するリンデロン点眼液0.01%の二重盲検法による有効性、安全性の検討――デキサメタゾン点眼液0.02%、0.01%との比較」『眼科臨床醫報』74巻8号、眼科臨床医報会、1980年8月、1054-1062頁。
  5. 丸尾馨・奥沢康正「眼科医丸尾興堂の家系」『日本医史学雑誌』37巻2号、日本医史学会1991年4月30日、288-289頁。

関連人物[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]