上杉勝周
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上杉 勝周(うえすぎ かつちか、元禄9年9月11日(1696年10月6日)? - 延享4年7月2日(1747年8月7日))は、江戸時代中期の外様大名。出羽国米沢新田藩(1万石)の初代藩主である。
生涯[編集]
米沢藩の第4代藩主・上杉綱憲の4男。母は於磯(樫田氏)。幼名は千之助。通称は主税。正室は片桐貞起の娘・於繁。兄弟姉妹に吉憲、吉良義周、憲孝、勝延、豊姫(黒田長貞正室)らがいる。受領名は駿河守。官位は従五位下。子に勝承(長男)、金田正矩(次男)。
生年については元禄8年(1695年)生まれとも[1]、元禄9年(1696年)9月11日生まれともされている[2]。
享保4年(1719年)2月25日、兄・吉憲から1万石を分与されて米沢新田藩を立藩した。新田分与のため領地はなく、米沢城の2の丸に居住した。同年12月に駿河守に叙任。
享保7年(1722年)5月、兄・吉憲が死去して幼年の息子である宗憲が家督を継ぐと、その後見役を務めた。享保8年(1723年)2月に鍛冶橋門番、5月に駿府加番を勤める。
享保14年(1729年)に正室と結婚した。延享4年(1747年)7月2日に52歳で死去。第2代藩主は長男の勝承が継承した。