ライトノベルから見た少女/少年小説史
『ライトノベルから見た少女/少年小説史』は、2014年に文学研究者・大橋崇行が発表した評論書。
第68回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)の候補に選ばれた。
概要[編集]
「ライトノベル」というジャンルは70年代に突如として「誕生」した、という定説に疑問を呈し、戦前からあった「少女小説」「少年小説」がライトノベルの源流であることを主張している。
解説の分量は「ライトノベル」よりも「少女小説・少年小説」のほうに多く割かれている。「少女小説・少年小説とはどのようなエンタメ文学であったのか」「なぜ従来の研究では見過ごされ、70年代にライトノベルが "突如として" 生まれたかのような錯覚が生じてきたのか」を詳述する。
ざっくりした要旨[編集]
以下では、この本を読んだ筆者が書き留めた、(箇条書きスタイルの)雑多なる要旨を掲載する。
- ていねいにまとめた箇所と、飛ばした箇所のムラがある。本の端から端まで、均一な密度・熱量でまとめ上げた要約ではないことに注意されたし。
- この本をまったく読んでいない人が、以下の要旨だけ読んで十全に分かることを目指して書かれてはいない。たとえば、過去に一度読んだ人が内容を思い出す手助けにでもして頂ければ幸いである。
第1章 ライトノベルとキャラクター[編集]
伝統的な文学評論の系譜
- 早稲田大学まわりの作家たち(ごく一部)がお互いの「リアリズム小説」こそを「文学」と位置づけ
- ➞ 柄谷行人『近代日本文学の起源』
- ➞ 大塚英志『キャラクター小説のつくりかた』(『蒲団』もキャラクター小説である)
- ➞ 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』
東浩紀の「データベース論」は、文芸評論の伝統的な「コード論」と大差なし?
- コード論:作品中に含まれる要素(コード)と、読者が人生経験で得ているコードの一致する箇所だけが読み取られている
早稲田界隈(宇野浩二・葛西善蔵・広津和郎など)の一部の作家たちのあいだで、内輪ウケしていた私小説も、十分コード的=データベース的である。
実際には、明治まで遡っても自然主義文学はごく数%にすぎず、メインストリームではない。
自然主義文学に対比させる形で、漫画・アニメ・ラノベなどの「おたく」文化は特権化されて語られてきたが、実際はそれほど分断されたものではないはずだ。戦前・戦後の「少女小説」「少年小説」から、漫画やアニメは影響を受けてきたし、ラノベもその延長線上にある。
チャールズ・ベイザーマンの「ジャンル」論に従えば、(少年向け)ライトノベルと、少女向けライトノベルは、別のジャンルと呼ぶほうが相応しい。読者層が根本的に異なるうえに、地の文の書き方などにも大きな違いがある。「ライトノベル」という一括りにした呼び方は、表紙にアニメ風のイラストが使われているといった、表層的な面に着目した粗雑な分類である。90年代には、少女向けライトノベル(コバルト文庫など)は、(少年向け)ライトノベルよりもはるかに一般文芸に近く、しばしば一般文芸に越境していた(前田珠子など)。このことが、「ライトノベル」という一括りにした呼び方の一因としてあるといえるが、この「越境」も10年は続かなかったことを考えれば、一時的現象にすぎず、本質的には別ジャンルと考えるほうがよい。
90年代のパソコン通信で「誕生」したライトノベルという用語に拘泥するのは、カルト的である。
第2章 「少女小説」「少年小説」「ジュブナイル」[編集]
少女小説[編集]
1890’s J・Sミルの評論の影響
- 少年小説は観念的、少女小説は現実的な傾向
- → 実に 1980’s ファンタジーブームまでつづいた
教訓的な小説 → 友愛というテーマ(川端康成『乙女の港』)へと変遷
尾崎翠『第七官界彷徨』『アップルパイの午後』
『少女の友』(~1955)
- 少女同士の共同体を重視(書き手も読み手も同年齢)
『女学生の友』(1950~)
- 男性作家の作品が増える
「ジュニア小説」(1958~)
- 再び共同体に回帰。
- ただし、器用な書き手は年上の男性作家の作風を真似してしまう。
- 共同体という幻想(後のラノベ勃興時にも同様の現象あり)
- 少女小説 :ロマンチック・感傷的
- ジュニア小説:現実的・肉体的な性愛 ― 共学の一般化、他雑誌で取り上げる話題の変化など
少女小説 → ジュニア小説 → コバルト系
児童文学史の常識:80年代にタブーの崩壊
- → 肉体的な性愛を取り扱ってきた、ジュニア小説の歴史が全く看過されている。
- ハイカルチャーの「文学」が、サブカルチャーの「大衆小説」から
- 影響を受けたことを否認したい気持ちが、学界全体にあるか。
少年小説[編集]
1890年代頃 「少年」という言葉が現在の意味で定着
『少年園』 従来の雑誌とは違い、読み物中心
SF:大人の読み物→1880年代:子供の読み物へと
講談や浪曲のブーム、「書き講談」
『少年倶楽部』
- 講談の速記の掲載→書き講談の雑誌へ
- 吉川英治、大佛次郎、佐藤紅緑
1920’s~40’s
- 海外翻訳小説と、赤本を中心とした「書き講談」の融合
- 現在に連なるエンタテイメント小説の基礎が築かれた
- 冒険小説、探偵小説、SF
まんが以前の「絵物語」
- 本文が主導で、イラストは補助的存在
- → まんがというよりライトノベル
戦後、『少年クラブ』はエンタテイメント性を重視した少年小説から徐々に離れ、現代の「児童文学」に連なる叙情的な作品を掲載していくようになる。戦後民主主義に目を向けさせるための「教養雑誌」へと編集方針を転換したことが大きい。
- → それ以前に存在した「少年小説」の存在が分かりづらくなっている。
講談社の「児童文学への接近」とは対照的に、光文社はエンタメ路線を継承。
- 「痛快文庫」→少年探偵団シリーズの再開
1959年創刊の『サンデー』『マガジン』はもともと、まんが雑誌ではない。それ以前の「少年雑誌」のような、雑多なよみものを掲載する雑誌であり、「少年小説」も掲載されている。
- → 徐々に漫画の占める分量が多くなっていく。
- この頃の少年漫画は、少年小説を漫画に置き換えたものという傾向を強くもつ。
- 少年小説が徐々に衰退し、のちの世代からはその存在が見えづらくなり、70年代に突如、ライトノベルが発生したように見えてしまう。
第3章 <キャラクター>論[編集]
高垣眸の小説に影響を受けた、アニメ『ヤマト』の制作陣
- 手塚による「漫画→アニメ」というメディアミックスだけではない、「小説→アニメ」という方向性の影響関係
なぜ大森望は、平井和正『超革命的中学生集団』をラノベ第一号だと思うのか?
- 「サブカルチャーのメインカルチャー化」という問題 → 天野喜孝のイラストがサブカルに見えるのはどの世代までか?
- 大森望にとっての「まんが」的な表紙であった本作。
- 大森より上の世代でラノベについて評論する人がいないことが、70’s ラノベ誕生神話を生んでいる。
江戸時代の出版文化
- 現代との類似
- 二次創作が盛ん、頁数・部数が少なく貴重、イラストでの付加価値、春秋年2回に多く刊行
<キャラクター>の定義
- 自然主義文学=ありのまま、キャラクター=仮構的、というこれまでの議論の限界・曖昧さ
- 新たな基準・定義の提唱:独白や対話といったセリフで造形される作中人物
- 『おおかみこどもの雨と雪』で現実と接続した感想が多く見られた理由
- 金水敏「キャラ語」
- 「ですわ」「ぼく」の歴史
口調によってキャラクターの書き分けができる日本語と、ライトノベル文化の親和性
- 言文一致の歴史
- 江戸時代の人情本
- → 地の文は文語体だが、会話文は口語をそのまま書き取ったものに近い
- 二葉亭四迷・尾崎紅葉・山田美妙(実際には漢語混じりの文語文体)
- → ほとんど日本語として定着することはなかった
- 尋常小学校の「談話体」教育(1900年~『国語読本』) → 日本語として定着
- 「です・ます」文体
- 少女小説・少年小説、巌谷小波の童話などが、談話体を広める役目を果たす
- 自然な話し言葉というよりは、整備され、教育された新しい「話し方」
江戸以前の文学に存在したさまざまな様式の「再様式化」
- → この過程で役割語・キャラ語が定着していったか
漫画・アニメの「キャラ」とは
- キャラの視覚的情報は、そのキャラがどのような言動をしそうかという情報と結びついて、キャラクター性を膨らませる。
- ただし、言動と外見は完全に固定されているわけではなく、時代とともに変化する部分もある。
- (気の強い女性は、短髪か長髪か? 年代ごとの差異)
- その恣意的なゆるいつながり、新たな外見と言動の組み合わせが、新たな作品を生む原動力となる。