テヅカ・イズ・デッド
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『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』は、伊藤剛の評論。
「キャラ」と「キャラクター」[編集]
「キャラ」と「キャラクター」を区別して定義したくだりが有名。マンガ論だけでなく、文芸論やサブカルチャー論などで広く引用・参照されている。
あらためて「キャラ」を定義するとすれば、次のようになる。
多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指されることによって(あるいは、それを期待させることによって)、「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの
一方、「キャラクター」とは、「キャラ」の存在感を基盤として、「人格」を持った「身体」の表象として
読むことができ 、テクストの背後にその「人生」や「生活」を想像させるものと定義できる。
(星海社新書版 p.126 より引用)
より平たく言い換えれば、人間の性格を表す英単語の「character(キャラクター)」に対して、漫画やアニメの登場人物を「キャラ」と呼んで区別した議論である。しかしながら、漫画・アニメの登場人物を「キャラクター」と呼ぶことも一般的であるため、(議論の主旨そのものの正当性以前に)「用語」のつけ方が余計な混乱を生んでいる、という感は否めない。
文芸評論史[編集]
柄谷行人『近代日本文学の起源』→大塚英志『キャラクター小説のつくりかた』という系譜の延長線上に成立した評論であるといえる。
書籍情報[編集]
- 2005年9月 NTT出版 ISBN 978-4757141292
- 2014年9月 星海社新書 ISBN 978-4-06-138556-6