ムクタディル
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ムクタディル(895年 - 932年)は、アッバース朝の第18代カリフ(在位: 908年 - 932年)[1]。
生涯[編集]
第16代カリフ・ムウタディドの子で[1]、兄の第17代・ムクタフィー以上に無能だった。国政をトルコ人の宰相に任せきり、裁判所にまで女性を侍らせる快楽主義者だったという[1]。悪い時には悪いことは続くもので、科学や文学方面での有能な人材もこの時代に多くが他界した[1]。ただ唯一の幸運は敵国の東ローマ帝国が他の外敵に苦しめられてアッバース朝に侵攻できず、逆に停戦和平を申し入れてきたことで、アッバース朝はこれを受け入れている[1]。しかし政治の混乱は続き、快楽主義を貫くムクタディルに対して多くの非難が発生する[1]。これに乗じたムクタディル廃位の陰謀も発生するが、軍隊が同調しなかったので失敗した[1]。
しかしムクタディルの快楽主義のため、国家財政が危機的状況に陥り、また自分の息子らが反乱を計画していると考えて弟のカーヒルを後継者に指名するなど国政は支離滅裂を極め、932年に暗殺された[1]。享年38。
跡を弟のカーヒルが継いだ。