ムクタフィー

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ムクタフィー877年? - 908年)は、アッバース朝の第17代カリフ(在位: 902年 - 908年)[1]

生涯[編集]

第16代カリフ・ムウタディドの子で、902年に父が死去したため跡を継いだ[1]。軍人として有能だった父親と違ってムクタフィーは無能だったようで、父親の死去を知り東ローマ帝国の侵略を受け、アッバース朝は艦隊を派遣したが大敗して3000人を失う大被害を受ける[1]エジプトでもアッバース朝に対する反乱が起こり、トゥールーン朝のタルフス長に錨で繋いであったイスラム教徒の50の船が焼かれた[1]。こうして地中海沿岸の領有権をアッバース朝はほぼ失い、ムクタフィーはまともな対応ができないまま908年に死去[1]

生年に関しては877年と878年の2説があるため[1]、享年は32か31となる。

跡を子のムクタディルが継いだ。

脚注[編集]

  1. a b c d e f 小和田『世界帝王事典』P89

参考文献[編集]