ミュージックサイレン
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ミュージックサイレンとは、1951年にヤマハが開発した楽器である。
概要[編集]
原理はまずノイズが流れ(動画でも分かるが大抵のものはパッチンパッチンパッチンパッチンパッチンパッチン!という音がする。これはミュージックサイレン本体のモーターの起動準備である)、その後ノイズの影響でモーターが起動し、空気を圧縮する(ギュイイイイイイイイイイイイイイン!という音がする。ちなみにこれは飛行機のエンジンの音の発生と同じ原理)。そしてサイレンを起動、圧縮された空気を利用して音を出す。
1941年に太平洋戦争開戦、1943年初頭までの約1年間は日本が優勢だったものの1945年に空襲が大都市に来るようになり、さらに原子爆弾の投下により日本は終戦の道を歩むことになる。終戦後、今でもあるような防災サイレンが必須になったが、この時のものは空襲を思い出させるような地味なものしかなかった為、「空襲の際、未明に大きな音で鳴り響くサイレンの音を思い出させないように。そして音楽を楽しんでもらえるように」とヤマハが開発した。第一号はヤマハの本社屋上に設置されていた。やがてミュージックサイレンは日本中に浸透するようになった。
しかし2010年代初頭、突如としてミュージックサイレンの修理器具が老朽化のため機能しなくなり、全国から姿を消していった。さらに第一号である屋上にあったミュージックサイレンも、同じ理由で2019年にその姿を消した。最後に流れた曲は「蛍の光」。