マームーン

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マームーン786年9月15日 - 833年8月9日)は、アッバース朝の第7代カリフ(在位813年 - 833年)[1]

生涯[編集]

第5代カリフ・ハールーン・アッ=ラシードの子[1]。第6代カリフとなった異母弟のアミーンより年長だったが、生母がペルシア人の奴隷という低い身分のため、後継者には指名されなかった[1]。ただし、アミーンが跡を継いだ際に次のカリフにマーミーンを立てる協定が成されていたとされ、これを弟が破棄して自分の息子のムーサーを後継者にしようとしたため、マーミーンは反乱を起こして813年にアミーンを殺害し、自ら後継のカリフとして即位する[1]。しかし即位後もバグダードに入らずマルウに留まり、シーア派アリー家アッリダーを後継者に指名するなどその国政は支離滅裂で、各地で反乱が勃発し、マームーンはその鎮圧に務めた[1]

この鎮圧の最中にアッリダーが死去したので、マームーンは即位から6年にしてようやくバグダードに入る[1]。学問を愛し、バグダードに知恵の館を建設し、ここでギリシャ語文献をアラビア語に翻訳する事業を推進した[1]

833年にタルスス付近の宿営地で死去[1]。享年48。跡を弟のムウタスィムが継いだ。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h 小和田『世界帝王事典』P86

参考文献[編集]