ボージェスト
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ボージェスト | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1970年4月4日 |
死没 | 不明 |
父 | ネヴァービート |
母 | ヤマピット |
生国 | 日本(北海道静内町) |
生産 | ヤマニンベン牧場 |
馬主 | 小林信夫 |
調教師 | 浅見国一(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 39戦5勝 |
獲得賞金 | 4253万6600円 |
概要[編集]
ボージェストの母はヤマピット、祖母(ヤマピットの母)はキユーピツト、曾祖母はマイリーという、いわゆる競馬版「華麗なる一族」と呼ばれる牝系血脈のなかの一頭である。ボージェストがクラシック戦線に出走していた当時はまだ、このマイリー牝系が「華麗なる一族」という異名を取っていたわけではなかったが、それでもキユーピツト、ヤマピットと母子とも活躍した名牝馬であったため、さらにその子のボージェストも良血馬として期待されていた。
ヤマピットのたった1頭の産駒となった本馬の名前の由来は、兄弟がアフリカ戦線の外人部隊に身を投じるも部隊は全滅し、末弟だけがただ一人だけ残されるという筋書きのアメリカ映画『ボー・ジェスト(原題 Beau Geste)』に由来する。
ボージェストは、母と同じ浅見国一厩舎に入り、母と同じ池江泰郎が騎乗し、1972年(昭和47年)の夏にデビュー戦を母と同じように逃げ切った。その後は北海道3歳ステークスで最下位になり、翌1973年(昭和48年)に4歳(旧表記)になると名古屋4歳特別に勝ってクラシック戦線に挑戦したが、NHK杯と東京優駿(日本ダービー)に出走して最下位になり、菊花賞でも大きく離された最下位になった。その後も特筆するほどの活躍をすることもなく現役を引退した。
なおボージェストの1歳下のいとこにあたるイットーがボージェストを大きく上回る活躍をみせ、イットー産駒のハギノトップレディ、ハギノカムイオーの活躍などもあり、現在でもマイリーの牝系子孫が「華麗なる一族」と呼ばれている。
血統表[編集]
ボージェストの血統(ナスルーラ系 / Nasrullah 3×4=18.75%、Nearco 4×4×5=15.63%) | (血統表の出典) | |||
父 *ネヴァービート Never Beat 1960 栃栗毛 |
父の父 Never Say Die1951 栗毛 |
Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Singing Grass | War Admiral | |||
Boreale | ||||
父の母 Bride Elect1952 黒鹿毛 |
Big Game | Bahram | ||
Myrobella | ||||
Netherton Maid | Nearco | |||
Phase | ||||
母 ヤマピット 1964 鹿毛 |
*ソロナウェー Solonaway 1946 鹿毛 |
Solferino | Fairway | |
Sol Speranza | ||||
Anyway | Grand Glacier | |||
The Widow Murphy | ||||
母の母 キユーピツト1957 鹿毛 |
Nearula | Nasrullah | ||
Respite | ||||
*マイリー | Supreme Court | |||
Lusignan F-No.7-e |
外部リンク[編集]
- 競走馬成績と情報 JBISサーチ