ヒシマサル (初代)
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お知らせ |
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。詳しくはwp:ja:馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。 |
ヒシマサル | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1955年4月5日 |
死没 | 1962年 |
父 | ライジングフレーム |
母 | カッター |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
生産 | 藤田牧場 |
馬主 | 阿部雅信 |
調教師 | 矢野幸夫(中山) |
競走成績 | |
生涯成績 | 27戦13勝 |
獲得賞金 | 958万7400円 |
来歴[編集]
父・ライジングフレーム、母・カッター、母の父・月友という血統。阿部雅信氏が購入し、1957年8月に函館開催の新馬戦(芝800m)でデビューするも5着に終わる。その後も勝てないレースが続き、一旦休養入りする。1958年東京開催の未勝利戦から再始動するとこれに勝利し、その後2連勝。3連勝という状態でNHK杯に出走し4着。東京優駿は5着に沈むも、千葉ハンデキャップ、札幌改築記念、毎日王冠、セントライト記念の全てで勝利する。翌年は安田記念・日本経済賞などに勝利し、最終的に1960年6月に引退。生涯成績27戦13勝。
当時はG1級レースに勝利していても内国産というだけで種牡馬としてはかなり不利な状況だったのだが、産駒のヒシマサヒデが父も制した安田記念に勝利し父子2代でG1級レース制覇を成し遂げた。1962年、放牧中に有刺鉄線に絡まるというアクシデントに見舞われ、パニックから鉄線を無理やり振り払おうとして深い傷を負い、急逝してしまった。