ドレスデン爆撃
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ドレスデン爆撃(ドレスデンくうしゅう)とは、第2次世界大戦末期の1945年2月13日にアメリカ・イギリスの連合軍がナチス・ドイツ配下の古都であるドレスデンに行なった大量虐殺のことである。
1945年に入ると、ナチス・ドイツの敗色は色濃いものとなっていたが、1945年2月13日にアメリカとイギリスの連合軍は、ナチス支配下のドレスデンに対して無差別の戦略爆撃を開始した。いわゆる絨毯爆撃であり、この空襲で古都ドレスデンに存在していたバロック建築が並ぶ古都は文字通りの廃墟と化した。また、3万5000人以上の市民が死亡したとされているが、一説に犠牲者は10万人を超えているともされている。また、この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊された。第2次世界大戦末期の混乱時の出来事のため、正確な記録は未だにわからない。
この爆撃については大日本帝国に対する原爆投下と同じく戦争犯罪ではないかという批判がドイツ・米英両方から上がっていたが、戦後開廷されたニュルンベルク裁判では連合国側の多くの戦争犯罪と共に「ホワイトウォッシング」される格好となった。
これについてドイツの右翼たちは連合国側の行為こそホロコーストであるとして反米的主張を続けている。