デズモンド・ムピロ・ツツ

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デズモンド・ムピロ・ツツDesmond Mpilo Tutu1931年10月7日 - 2021年12月26日)は、南アフリカ聖公会司祭であり、反アパルトヘイト運動・人権活動家として知られる神学者

略歴[編集]

南アフリカ北部の最大都市ヨハネスブルク郊外にあるクラークスドープで生まれる。

当初は高校教師となるが、黒人に対する差別的な教育法を時の政権が導入したことから、キリスト教徒としての道を歩むようになり、1960年にイギリス国教会司祭になる。1976年ソウェト蜂起が起きると、アパルトヘイト撤廃の必要性を強く説くようになるが、これは当時の白人政権から弾圧されて逮捕されることになる。しかし、キリスト教の立場からツツはネルソン・マンデラらのアフリカ民族会議ANC)と対照的に非暴力主義を貫いた。

1984年ノーベル平和賞を受賞しているが、この際の演説で「他人を非人道的に扱う人間は、自らも非人道的に扱っているのだ」と述べて、アパルトヘイトの早急な撤廃を訴えている。

1986年ケープタウン大主教に就任し、1996年まで務める。この間にアパルトヘイトは撤廃され、民主化が実現したので1995年にはマンデラ政権において旧白人政権下で人権犯罪の実態を明らかにする真実委員会の委員長に就任し、1999年まで務めた。一方でマンデラ政権の貧困やエイズなどの諸問題に対する取り組みが不十分だと指摘したり、指導層の汚職体質を厳しく追及・批判して政権とは対立した。チベットジンバブエなど国外の人権問題、アメリカ主導のイラク戦争などにも批判を繰り返すなど、国際的な影響力を持ち続けていた。

1997年前立腺癌と診断されて入退院を繰り返していたが、2021年12月26日にケープタウンの高齢者介護施設で死去。90歳没。

著作[編集]

ツツは7つの説教集とその他の本の著者である。

外部リンク[編集]