アメリカ本土爆撃計画
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アメリカ本土爆撃計画( - ほんどばくげきけいかく)とは、太平洋戦争中に大日本帝国が立案したアメリカ合衆国に対する航空機による爆撃計画である。
計画に至った経緯[編集]
戦争開始後はアメリカ合衆国本土への攻撃は潜水艦による砲撃と、水上機による小規模な爆撃が行われたが、大規模な攻撃は考えていなかった。
ドイツも潜水艦でアメリカ沿岸で船舶を攻撃した。しかし、地上への砲撃は報復を受ける可能性があるため行わなかった。
概要[編集]
当初の案は超大型爆撃機富嶽 (軍用機)を製造し、太平洋を横断して北米に達し、主要都市を空爆しながらアメリカを横断。その後、大西洋を横断、同盟国ドイツに着陸。補給を受けてアメリカを再度爆撃しながら日本に帰還。または、ドイツで補給を受けた後、ソ連を空爆して日本に帰還するという大掛かりなものであった。
その後[編集]
- 富嶽は6発機に見えるが、12機のガソリンエンジンを搭載する予定だった。しかしその巨大さ故、製造は日本には不可能であった。結局、B24に似た4発機に変更されたあと資材不足によって中止された。アメリカ合衆国から購入したダグラスDC4Eを基に製造した4発陸上攻撃機が使い物にならず、輸送機として細々と使ったに過ぎなかった。
風船爆弾[編集]
爆撃機による攻撃が不可能と判断されると代わって計画されたのが風船爆弾であった。和紙をコンニャクで作った糊で貼り合わせてジェット気流で飛ばしていくもので、アメリカ合衆国本土で山火事を発生させた。アメリカ合衆国側はこの事実が世間に広まらないよう秘密にした。もし日本側に知れたらさらに大量の風船爆弾が飛んでくる可能性があり、日本側が研究されていると思われる細菌兵器を搭載してくる恐れがあったからである。結局、風船爆弾は戦果の確認ができないまま中止されてしまった。アメリカ合衆国側は風船爆弾の材料が和紙だということはわかったが、使われた接着剤まではわからなかった。