藤田信雄
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藤田 信雄(ふじた のぶお、明治44年(1911年)10月 - 平成9年(1997年)9月30日)とは、大日本帝国海軍の水上機パイロットである。
アメリカ合衆国本土を爆撃した唯一の人物である。
アメリカ本土爆撃[編集]
昭和17年(1942年)9月9日、潜水艦から発進し、山中に焼夷弾を投下した。山火事を起こしてアメリカ人を困らせてやろうという控え目な作戦であったが、山火事は起きず作戦は失敗であった。戦果は木が一本燃えただけであった。
その後[編集]
1962年、アメリカオレゴン州ブルッキングス市から招待され、家宝の日本刀を持って渡米。戦犯扱いされるようなことがあれば腹を切る覚悟であったという。しかし、予想外の大歓迎を受け家宝の日本刀をブルッキングス市に寄贈したのであった。
アメリカ人が手入れを怠っているためか、家宝の日本刀は錆びている。