ひがしくに教
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ひがしくに教は日本の新宗教。創始者は日本の内閣総理大臣で皇族である東久邇宮稔彦王。
概要[編集]
正式名称は禅宗ひがしくに教で、禅宗に近い内容であったと言われている。[1]
当時の稔彦王は、内閣総理大臣(首相)として太平洋戦争の敗戦処理をしていた。首相辞職後(1950年)に「戦争なんて何も得がない」「平和が一番だ」「政治生活を反省したを結果、仏門を通して、新興宗教を作ることを決意した」として、仏教でもキリスト教でもない新たな平和を目指す宗教を作ることを考えた。そして1950年(昭和25年)4月15日に宗教法人令の基でひがしくに教を作った。[2]
最初は名前を平和教にしようと考えていたが、GHQの、「元皇族・軍人が平和とするのは・・・」という意向により、名前はひがしくに教となった。そして稔彦王は一時期教祖となったが、手がけた事業はことごとく失敗に終わった。また、稔彦王は元皇族、軍人、首相であったので、政府(法務省)・皇室が反発、ひがしくに教の調査をし、教団名の使用を禁止することを通告するに至り、6月に解散となった。存在したのが二か月だったので、詳細な教義内容は不明であり、その後は再興などもされていない。また、小原龍海もその教団の上の方にいたので、とても怪しいと言われていた。[3]。
脚注[編集]
- ↑ ニッポンドットコム皇位継承で注目される「旧宮家」とは (後編):戦後も続く皇室との繋がり
- ↑ 【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール46
- ↑ 結局「ひがしくに教」ってなに?