じゃがたらお春
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じゃがたらお春 じゃがたらおはる | |||||||||||||||||||
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じゃがたらお春(じゃがたらおはる)とは、江戸時代前期から中期における日本人とイタリア人の混血女性である。ジャガタラお春と表記されることもある[1]。
生涯[編集]
長崎でイタリア人航海士の父と、日本人女性との間に生まれた混血の女性。15歳の時に江戸幕府が鎖国令を出したことにより、母や姉らと共に長崎からジャカルタに追放された。なお、名の「じゃがたら」は当時のジャカルタの名前である[1]。
ジャガタラで生活を送るようになったお春は、この地でオランダ人男性と結婚し、4男3女の子宝に恵まれて裕福な生活を送ったという。なお、お春が長崎に残った叔父の峰七郎兵衛に宛てた手紙が長崎県立長崎図書館に、1692年5月17日付の遺言状がインドネシア国立文書館にそれぞれ所蔵されている[1]。
1697年に72歳で死去した[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]