T-26

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T-26とは、ソ連軽戦車である。1930年代から第二次世界大戦初期にかけて運用され、フィンランド軍スペイン内戦スペイン共和国軍でも運用された。

概要[編集]

ソ連赤軍はT-18などの豆戦車や、イギリス戦車を少数保有していた。1929年に赤軍は外国軍の視察に出向いた。アメリカヨーロッパ各国をまわった赤軍だったが、そこで判明したのはソ連戦車の旧式化と火力不足であった。赤軍はこの状況を解決するため新型戦車の開発に乗り出した。ソ連はイギリスからヴィッカースMk Eを購入し、それをベースに1931年、T-26が生み出された。T-26は多砲塔戦車や、火炎放射器を搭載した様々な派生型が開発されたが、いずれも砲塔を一つに抑えたものに留まった。

運用[編集]

T-26はファシスト側と戦争を繰り広げていたスペイン共和国軍に運用され、1936年には106両、1937年に150両、1938年に25両が送られた。T-26はファシスト側の機関銃しか持たない豆戦車に大きな戦果を挙げた[1]。 ソ連においてはポーランド戦に大量に投入された。 フィンランドとの冬戦争では雪や湖が多いフィンランドの地形に阻まれ、進軍に遅延をきたし、ノロノロと低速度でしか走れなくなった。そのためフィンランド兵の肉薄攻撃、火炎瓶攻撃を容易にし、大きな損害を出した[2]。またフィンランド軍はT-26を鹵獲し、自軍の装甲戦力として運用した。また1941年のイラン侵攻でも運用された。 最後に投入されたのは1945年の満州侵攻であった。

脚注[編集]

  1. ファシスト側の戦車を体当たりで崖から突き落としたことも記録されている
  2. フィンランド軍は自作の対戦車兵器のカサパノスというものを投げて撃破したり、丸太を履帯に突っ込んで修理に出てきた戦車兵を機関銃で倒すという戦術も行った。