2001年・2002年の阪神タイガースのユニフォーム

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2001年・2002年の阪神タイガースのユニフォーム阪神タイガース2001年2006年まで採用していた球団史上初の胸番号・背番号統一ロゴ・ビジター用ピッツバーグ・パイレーツスタイルユニフォームのうち2001年・2002年の両年のみ採用されていたビジター用のデザインを指す。前者は背ネームなしのモノクロ猛虎マークバージョン、後者は背ネームなしのカラー猛虎バージョンで便宜上の短命ユニフォームとして扱った。また、ホーム用は補足事項として扱った。

デザイン[編集]

帽子・アンダーシャツ・ストッキングは黒。スパイクシューズは黒のライン入り。地色はグレーで上着はボタン止め。袖ズボンラインが1983年以来18年ぶり、ラケットラインが1951年以来50年ぶりに復活。(※ どちらも黒)ロゴのHANSHINは曲線逆凹型デザイン、胸背番号は始めて統一されたロゴ数字。どちらも黒を白で囲んだもの。背番号の上のネームも同じ。左袖には猛虎マークがプリントされた。ここまではよく知られたデザイン。

  1. 2001年のデザイン)背ネームなし。左袖の猛虎マークはモノクロ。
  2. 2002年のデザイン)背ネームなし。この年からカラーの猛虎マークが復活。

概要[編集]

1998年オフヤクルトスワローズでの実績を引っさげて阪神タイガースへ移籍した野村克也監督は就任当時「ユニフォームを変更しないと猛虎再建はあり得ない」と球団に要請した。しかし球団はホームが1982年、ビジターが1984年に採用された(1988年1990年まではボタン止め、それ以外プルオーバー)当時のユニフォームが唯一の日本一を経験したゲンのいいデザインと判断したか(※ 実際はBクラスに落ちてる回数が多いため本来はゲンの悪いユニフォームである)なかなか重い腰を上げない。しかし野村在任期間でも最下位低迷にあえいだため2000年のオフようやく受け入れた。これが2006年まで使用されたビジター用がピッツバーグ・パイレーツのデザインを模したタイプのユニフォームで採用されていた6年間でリーグ優勝2回と猛虎復活を印象付けるデザインとして記憶に新しい。しかしこのデザインにも短命のバージョンが存在する。それが2001年・2002年のビジター用デザイン。

2001年に採用されたビジター用のオリジナルは背ネームなしが特徴だが当時のファンの度肝を抜いたのがモノクロデザインの猛虎マークだが当時の低迷振りから口の悪いファンから「ダメトラが続いて猛虎が青ざめちゃった!!」・「これじゃ死に虎じゃん…」と揶揄された。この年はシーズン前から野村克也監督の夫人沙知代の脱税騒動など外からの逆風に見舞われ低迷、年が明けて2002年にはついに夫人が逮捕されるに至り責任をとる形で目的を果たせぬまま辞任した。その後を引き受けたが星野仙一。星野は「青ざめたらカッコウがつかない」と猛虎マークを元に戻した。するとチームは開幕から絶好調、夏場息切れするものの4位でシーズンを終えた。そして背ネームを入れたら「勝ちたいんや旋風」でリーグ優勝。猛虎マークに色をつけて最下位脱出→背ネームを入れて優勝と2001年・2002年のデザインはそれに至るまでの道程を象徴したものといえた。

補足事項[編集]

2001年~2006年のホーム用のデザイン[編集]

デザインは基本的に2000年の阪神タイガースのユニフォームのホーム用と同じ。変更点は上着がボタン止めに、胸背番号が統一ロゴ数字になったことである。