1988年の広島東洋カープのユニフォーム
1988年の広島東洋カープのユニフォームは1977年から使用された2代目Cマークユニフォームの最終マイナーチェンジバージョン。1978年から1987年まではベルトレスタイプだったが、当時、西武ライオンズ、近鉄バファローズ、阪急ブレーブスが採用していたカバー付きベルトタイプに変更されたユニフォームである。翌1989年、山本浩二監督が就任したのに併せてユニフォームをフルモデルチェンジしたため、わずか1年だけ使用の短命ユニフォームとして扱った。
デザイン[編集]
※ 詳細は1977年のデザインを参照。 ユニフォーム自体は背ネームが採用された1978年からのデザインだが、ズボンのベルト部分がベルトレスからカバー付きベルトタイプに変更された。
概要[編集]
1972年に阪急ブレーブス・南海ホークス・東映フライヤーズが採用した当時は時代の最先端といわれていたベルトレスユニフォームだが1980年頃から悪評が立つようになり、1973年にセントラル・リーグで一番早くベルトレスタイプを採用し、1977年以降はセ・リーグ唯一のベルトレスユニフォームを使用してきた広島も周囲の声には勝てず、1988年にユニフォームのズボンをベルトレスからカバー付きベルトタイプに変更した。この年の広島は前半こそ優勝争いをしていたが後半失速し、Aクラス・勝率5割を死守するのがやっとであった。1986年から指揮を執り就任1年目にはチームをリーグ優勝に導いた阿南準郎監督はシーズン終了後勇退し、後任に山本浩二が就任。翌年3代目Cマークユニフォームにフルモデルチェンジする。こうして2代目Cマークユニフォームの最終マイナーチェンジバージョンはわずか1年の使用に終わった。なお、厳密には翌年3月のオープン戦途中まで使用したため、この年に入団した野村謙二郎や江藤智もわずかな期間だが着用したことがある。
2008年9月、広島は本拠地・広島市民球場閉鎖にあたってメモリアルゲームとして対読売ジャイアンツ3連戦において「復刻版ユニフォーム」と称して1977年~88年使用のユニフォームを着てゲームを行っているが、ベルト部分はベルトレスではなくこの1988年版同様のカバー付ベルト止めタイプを使用した。