1984年の読売ジャイアンツのユニフォーム

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1984年の読売ジャイアンツのユニフォーム読売ジャイアンツ1981年1992年まで使用していた川上哲治長嶋茂雄折衷型デザインのうち球団創立50周年にあたる1984年のみ使用したメモリアルエンブレムバージョンのことを指す。折衷型デザインの変遷に関しては補足事項で扱った。

デザイン[編集]

帽子・アンダーシャツ・ストッキングは黒。帽子のYGマーク・天ボタンはオレンジ。襟・袖・ズボンラインは黒をオレンジで挟んだ配色、襟・ベルト通し一本線、袖・ズボンが2本線。スパイクシューズは黒に白のライン入り(アディダス社製)。ここまで共通。

ホーム用は地色がクリーム、ビジター用は地色がスカイブルー。ホーム胸・ビジター左袖のGIANTSロゴ、ビジター胸のTOKYOロゴ、ホーム左袖のYOMIURIロゴ、胸・背番号・背ネームは黒でオレンジの縁取り(ホーム・ビジター共通)。「TOKYO」「YOMIURI」「GIANTS」のロゴ書体は早稲田大学野球部形花文字書体。胸・背番号は角型数字。背ネームのローマ字はゴシック体。

1984年のホーム・ビジター用の右袖につけられたメモリアルエンブレムは、白とオレンジの縞模様で模ったV字型上部の中央に50の数字、左にYOMIURI、右にGIANTSのロゴ。V字型先端部分に硬球ボールをあしらった円の中にYGマーク。

概要[編集]

1984年、球団創立50周年を迎えた巨人は、王貞治助監督が監督に昇格。常勝球団の巨人にとっても、この記念すべき年はなんとしても優勝で飾りたいと、その決意はこの年のユニフォームにも表れていた。それが右袖につけられたメモリアルエンブレムを縫い付けたユニフォームであった。巨人のユニフォームは藤田元司が監督に就任した1981年から川上哲治+長嶋茂雄折衷型デザインが使用されていたが、1984年はユニフォーム右袖にメモリアルエンブレムが縫い付けられていた。しかし、この年は開幕ダッシュに失敗し、7月以降はAクラスを死守するのがやっとの状態で、最終的に3位に終わった。

補足事項[編集]

川上哲治+長嶋茂雄折衷型ユニフォームの変遷(1981年~1992年)は以下の通り(1975年の読売ジャイアンツのユニフォームの項目も参照)。

  1. 1981年~1985年 ユニフォームが川上監督時代のV9スタイルに戻され、胸ロゴに早稲田形花文字と袖・ズボンにダブルラインが復活。
  2. 1986年1989年 最初のマイナーチェンジ。ボタン式をプルオーバー式に変更。
  3. 1988年1990年 スパイクシューズが黒字に白の3本ラインからミズノ製(ランバードライン)に変更。
  4. 1990年~1992年 2度目のマイナーチェンジ。ホーム用の地色がクリームから水原茂監督時代まで使用されていたホワイトに変更。
  5. 1991年~ スパイクシューズのラインがGマークをあしらったデザインに変更。