M.L.ゴードン
M.L.ゴードン(ごーどん、Marquis Lafayette Gordon、1843年7月18日 -1900年11月4日)は、医療宣教師、同志社英学校(現在の同志社大学)の神学教師である。
来歴[編集]
- 来日まで
アメリカ合衆国ペンシルベニア州ウェインズバーグで生まれる。アメリカ内戦(南北戦争)時には、第85ペンシルベニア歩兵連隊の隊員であった。 ウェインズバーグ大学を卒業後、1870年にコロンビア大学医学校で医師の資格を得る[1]。 その後、アンドーヴァー神学校に入学し、1871年に牧師に任命される。1872年に教師のアグネス・ドナルド・ゴードンと結婚する[2][3][4]。 1872年(明治5年)11月、妻と共に、アメリカンの宣教師として来日した。大阪の川口与力町の自宅で英語塾を始める。
- 新島襄の帰国
新島襄と同じアンドーヴァー神学校の卒業生で、先輩(ゴードン)と後輩(襄)の間柄であった。1873年12月16日、新島襄宛に手紙を出し、外国人宣教師による伝道の困難さを述べ、新島に早く帰国して援助するよう依頼した。ゴードンの大阪の自宅に1874年(明治7年)アメリカから帰国した新島襄が転入した。ゴードンは、京都府顧問の山本覚馬に、W.A.P.マーティンによる中国語のキリスト教入門書『天道溯原』を贈った。これは山本覚馬のキリスト教理解に決定的であった。ゴードンは1875年4月5日、月曜日の夕方、ゴードンの京都三条木屋町の宿舎で山本八重(新島八重)と新島襄とが出会うきっかけを作った。山本八重は兄・覚馬からの勧めでゴードン宅で聖書を習っていた。
- 同志社の教師
新島襄は山本覚馬の協力を得て、1875年11月29日、同志社英学校(現同志社大学)は生徒8名で開校した。1879年にゴードンは、J.D.デイヴィスらからキリスト教関連科目を日本語で講義できる最適任者として同志社(京都ステーション)に招聘され、神学を教えた。 1898 年、L.M.ゴードンと妻は米国に戻り、マサチューセッツ州ニュートンのウォーカー宣教団で働いた。1900 年 11 月 4 日に亡くなった。
- 注
- ↑ 日本語版Wikipediaにはこの経歴が抜けている。
- ↑ Gordon,MarquisLafye
- ↑ Gordon, Agnes D., 1853-1940
- ↑ 日本語版Wikipediaに妻は「リンダ・ゴードン」となっているが、事実関係の誤りと思われる。