龐会

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龐 会(ほう かい、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての武将。父は龐悳

生涯[編集]

219年に父が関羽に敗れて処刑されると、その跡を継いで関内侯に封じられた[1]。父譲りの武勇と風格を持ち合わせていたという[1]

257年諸葛誕の乱では諸葛誕からの誘いを断り、司馬昭に味方して鎮圧に貢献した[1]。この功績により郷侯に昇進する[1]263年蜀征伐にも参加し、最終的には平寇将軍から中衛将軍にまで昇進した[1]。『蜀記』によると蜀滅亡の際、かつて父を殺した関羽の一族への報復として、関羽の一族を皆殺しにしたとされている。

三国志演義』では第74回で父が関羽との戦いに出陣する際に涙の別れをしている[1]。第116回では蜀征伐に参加している[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 小出『三国志武将事典』P261

参考文献[編集]