黒の碑
『黒の碑』(くろのいしぶみ、黒い石、英:The Black Stone)は、アメリカ合衆国のホラー小説家ロバート・E・ハワードによる短編ホラー小説。『ウィアード・テイルズ』1931年11月号に発表したクトゥルフ神話の1つで、日本では創元推理文庫から出ている短編集の表題作であるほか、複数の邦訳がある。
ハワードが創造した狂詩人ジャスティン・ジョフリの初出作品。冒頭部にてジャスティン・ジョフリの詩が引用されており、この手法は後の作品でも用いられることになる。
東雅夫は『クトゥルー神話事典』にて「奇怪な黒い石にまつわる伝説に、異民族間の抗争をからめて描いているあたりに、ヒロイック・ファンタジー作家としてのハワードの関心の所在が示されている」[1]と解説している。『クトゥルフ神話ガイドブック』は「ハワード神話作品の頂点」と評し、「優れた恐怖作品であるとともに、古代の邪教信仰と、オスマントルコの東欧侵攻を絡めた歴史伝奇ロマンに仕上がっている。特に主人公が見る悪夢の場面はハワードならではの迫力がある」と解説している[2]。
あらすじ[編集]
過去[編集]
16世紀以前、ハンガリーの村ズトゥルタンには、マジャール=スラヴと太古からの原住民の混血である人々が住んでいた。邪教を信奉する彼らは、近隣の村から幼児や女性をさらい、神に生贄として捧げる。やがて侵攻してきたオスマン・トルコ軍のセリム・バハトゥル将軍は、住民の所業を知ると彼らを皆殺しにし、近くの洞窟に潜んでいたヒキガエルのような怪物と戦う。セリム将軍はその状況を巻物に記録するも、戦争でポーランド人領主のボリス伯爵に討たれる。伯爵は巻物から村の事実を知り、恐怖に震える。ボリス伯爵は奇襲を受けて死に、遺体と巻物は崩れる城に置き去りとなる。やがて低地の村の者達が移り住み、村はシュトレゴイカバール(魔女の村)という名前に変更される。不気味な碑は残されるが、正体を知る者はいなくなる。
19世紀のドイツの隠秘家フォン・ユンツトは、黒の碑のことを「黒の書」(無名祭祀書)に記す。また20世紀になるとアメリカの詩人ジャスティン・ジョフリが村を訪れ、碑にまつわる詩を詠む。
1931年[編集]
ジョフリが村を訪れてから10年後、わたしはフォン・ユンツトの「黒の書」を読むうち、「黒の碑」に関する記述に興味をもつ。またジョフリについても調べた結果、その碑がハンガリーの山奥シュトレゴイカバールに立つ不吉なモノリスであることを突き止める。わたしは休暇を利用し、村を訪れる。村では、血の繋がらない前の村の住民達による邪神崇拝にまつわる噂が、400年経った現在でも伝わっていた。碑を壊そうとした者には災いがふりかかり、真夏の夜に碑に近づいたことで発狂した者もいたそうである。碑の近くで眠ったある者は、悪夢に苛まされるようになった[注 1]。
6月23日の夏至の夜(聖ヨハネ祭の前夜)、わたしは碑の傍らで眠気に襲われ、夢の中でグロテスクな狂宴の光景を幻視する。女子供が人身御供に捧げられ、裸体の男女が踊り狂い、黒の碑の頂上には巨大な蛙に似た化物が座り込む。目覚めたわたしは、これがただの夢ではなく過去の映像だと考え、ボリス伯爵の城跡にはセリム将軍が記した巻物があるはずだと思い至る。わたしは城跡を暴き、伯爵の亡骸と小箱を見つける。
小箱の中には巻物と邪神像が収められており、わたしは巻物を解読してこれらを証拠と確信する。人間が必ずしも地球の支配者ではないことを理解したわたしは、黒の碑のような外世界への扉や、似たような怪物が他にもいるかもしれないことに思いを馳せる。わたしは巻物と邪神像を小箱に納め直し、石の重しをつけて河へと投げ込む。
主な登場人物・用語[編集]
邦訳の異なる固有名詞は、『クトゥルー4』『黒の碑』の順で記す。
- わたし - 語り手。「黒の書」とジョフリの詩から、「黒の碑」に興味を持ち、ハンガリーのシュトレゴイカバール(シュトレゴイカヴァール)村に赴き、狂宴の蜃気楼を見る。
- フォン・ユンツト - 19世紀ドイツのオカルティスト。著書「無名祭祀書」にて、黒の碑を「鍵」の一つと表現する[注 2]。最終的には怪死を遂げる。
- ジャスティン・ジョフリ(ジャスティン・ジェフリー) - ニューヨークの天才詩人。シュトレゴイカバール村を訪れ、奇怪な詩を詠む。1926年に精神病院で死去した。
- 宿屋の主人 - 10年ほど前に泊まったジョフリのことを語る。
- 宿屋の主人の甥 - 子供の頃に黒い碑に近づいたことで、ずっと悪夢に苛まれるようになった。黒の碑を頭頂につけた巨大な城を幻視する。
- 教師 - 村きっての教養人。黒の碑を研究しており、村と碑の歴史を解説する。
- セリム・バハトゥル(セリム・バハドゥール) - ズトゥルタン(ズスルタン)旧村を根絶したトルコ軍の指揮官。書家でもあり、様子を巻物に記す。
- ボリス・ウラディノフ伯爵 - ポーランド人領主。セリム将軍を討ち、巻物を入手する。その直後敵軍に奇襲され、遺体と巻物は崩れる城に取り残される。
- 黒い石(黒の碑) - 八角形、高さ16フィート(5メートル)、表面には謎の古代文字が刻まれたモノリス。太古に、おそらく非人間種族が築いたもの。1年に1度、夏至の夜、過去の映像を蜃気楼として再演する。
怪物について[編集]
黒の碑の地で崇拝された、ヒキガエルに形容される怪物については、作中では名前は設定されていない。
だが後に、ロバート・M・プライスが、ハワードの複数作品(黒の碑、屋根の上に、バル=サゴスの神々など)に登場する怪物は、全てゴル=ゴロスであり、作品群が連作であったと解釈した。ヒキガエルに似ていることでツァトゥグァの化身とする説については、プライスが否定している。
クトゥルフ神話TRPGにおいて、本作の怪物はゴル=ゴロスとされ、『屋根の上に』の怪物は「ツァトゥグァの末裔(Scions of Tsathoggua)」と名付けられている。しかしツァトゥグァの末裔の解説ではゴル=ゴロスとの関係が示唆され、またゴル=ゴロスの信仰地の一つがユカタン半島とされるなど、両者の混同もある。作中でも古代文字を介して、『屋根の上に』と本作は関係性がほのめかされている。[注 3]
固有名詞の使い回し[編集]
ハワードは、固有名詞を複数の作品で使い回す手法を行った。本作および『闇の種族』『大地の妖蛆』には、「黒の碑」という名前のアイテムが登場するが、場所も詳細も異なっている。また「ズトゥルタン」という固有名詞は、本作では村の名前だが、『アッシュールバニパルの焔』では人名として用いられている。[注 4]
収録[編集]
- 収録書籍
- 「黒の碑 クトゥルー神話譚」
- ハワードの短編集。創元推理文庫、夏来健次訳訳、1991年刊行。1987年にアメリカで刊行された単行本『Cthulhu: The Mythos and Kindred Horrors』の邦訳版。序文はデイヴィッド・ドレイク[注 5]、日本語版解説は倉阪鬼一郎。
- 『死都アーカム(詩)』『黒の碑』『アッシュールバニパル王の火の石』『屋上の怪物』『われ埋葬にあたわず』『聖都の壁に静寂降り(詩)』『妖蛆の谷』『獣の影』『老ガーフィールドの心臓』『闇の種族』『大地の妖蛆』『鳩は地獄から来る』『顕ける窓より(詩)』の13編を収録。
関連作品[編集]
- 黒の詩人 - ハワードの遺稿をダーレスが補作した作品。ジャスティン・ジョフリの詩才の秘密に迫る。
関連項目[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 後にダーレスが補作した『黒の詩人』にて、ジョフリは10歳のときに別の場所で似たような経験をしたことが判明する。
- ↑ わたしはこの体験を通じて、外世界への「扉」に対応しているという意味が込められていることを知る。
- ↑ ロバート・プライスの解釈は、かなりの度合でTRPGに取り込まれているが、100%ではない。
- ↑ 本作とは別の作品になるが、類例として、ハワードは「ダゴン」という固有名詞を、地名に冠するものとして使い回しており、これは友人ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが創造した名前を借りてきたもので、『大地の妖蛆』で水怪らしいことが示唆されているが深い掘り下げもない。ハワードはまた、没プロットを別のシリーズに流用して再活用するという手法も用いた。
- ↑ 邦訳されたクトゥルフ神話作品に『蠢く密林』がある。