鮑勲
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鮑 勛(ほう くん、? - 226年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての魏の政治家。字は叔業(しゅくぎょう)[1]。父は鮑信。兄は鮑邵。叔父は鮑韜。
生涯[編集]
父の鮑信はかつて曹操の盟友でその危機に際して命を賭して救援した功労者だったため、212年に曹操は遺児の鮑勲を丞相掾に任命した[1]。後に曹丕が王太子になると太子中庶子に任命される[1]。しかし鮑勲は公正な人物だったため曹丕に対しても公正な態度で常に接したために恨みを買った[1]。
220年、曹丕が文帝として即位しても鮑勲は常に諫言を行なったり上奏を繰り返したためにさらに恨みを買う[1]。223年、司馬懿や陳羣の推挙により御史中丞となるが間もなく左遷[1]。さらにかつての些細な罪を理由にされて文帝の私怨丸出しで処刑となった[1]。処刑の時期は文帝崩御の直前で、しかも周囲から助命嘆願が挙がる[1]中での事であった。