魏 攸(ぎ ゆう、? - 193年)は、中国の後漢末期の武将。劉虞の家臣。
劉虞に仕えた参謀で、192年の界橋の戦いで公孫瓚が袁紹に敗れると劉虞が公孫瓚討伐を計画したため、魏攸は「公孫瓚の文武は頼りになるから、小さな悪事(財物を奪ったこと)は容認すべき」と諫言して思いとどまらせた[1]。193年に病死したが[1]、魏攸が死去すると劉虞は公孫瓚討伐の兵を起こして自滅することになる。
『三国志演義』には登場しない。