高沛
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高 沛(こう はい、? - 212年)は、中国の後漢末期の武将。劉璋の家臣[1][2]。
生涯[編集]
劉備が入蜀を計画した際、楊懐と共に劉璋に対し劉備を荊州に帰国させるように上書した[1]。張松の内通が露見した際、劉璋から劉備と関わらない事を命じる書状が送られたので、高沛と楊懐は白水関を守備しながら関わりを避けた[1]。しかしこれに劉備が激怒し、劉備が計略を用いて帰国するふりをすると楊懐と共に喜んで出迎え、その場で斬り殺されたという[1]。劉備と敵対しながらもその英名には敬服していたとされる[1]。
『三国志演義』では史実同様に劉備の入蜀を受け入れようとする劉璋に諌める。演義は劉備を正義としているため、楊懐と共に劉備を暗殺しようと計画したとされ、それを見破られて捕縛されて処刑されている。