高岱

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高 岱(こう たい、生没年不詳)は、後漢末期の武将孔文(こうぶん)[1]

生涯[編集]

呉郡の出身。聡明で財貨を惜しまない性格を評価されて盛憲家臣として召された[1]。盛憲が許貢の攻撃を受けると陶謙への救援を求める使者となり、援軍を出す事を渋る陶謙に対して血の涙を流して懇願したため「申包胥に通じる[2]」と評価して援軍を送る約束をしたという[1]

しかし高岱が帰国した時には既に呉郡は陥落しており、しかも母親が許貢に捕縛されていた[1]。高岱は礼節を尽くして母の解放を求め、許貢もこれに応じた[1]。また旧主の盛憲を匿った[1]

後に孫策に召されるが、讒言により罪に落とされて捕縛され、周囲が助命を嘆願するもかなわず孫策の命令で処刑された[1]。年齢は30歳余りだったといわれる[1]

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h 小出『三国志武将事典』P126
  2. 春秋時代政治家柏挙の戦い伍子胥の前に祖国が滅亡の危機に立たされると哀公の前で泣き続けて援軍の約束を取り付けた事。

参考文献[編集]