馬日磾
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馬 日磾(ば じつてい、? - 194年)は、中国の後漢末期の政治家・儒者。字は翁叔(おうしゅく)[1]。族父は馬融[1]。なお、「磾」は日本では用いられない漢字。
生涯[編集]
右扶風茂陵県の出身[1]。192年に董卓が暗殺され、その死を嘆いた蔡邕が投獄された際、馬日磾は王允に対して助命を願い出たが王允は受け入れずに獄死させたため、馬日磾は王允の滅亡を予言した[1]。その予言どおり、王允が董卓の残党である李傕によって殺されて政権を握ると太傅に任命され、鎮撫の使者として袁術の下に赴いた[1]。しかし袁術は使者の印である節を奪い、馬日磾を留め置いたため、恥辱の余り憤死した[1]。
『三国志演義』でも史実通りとは珍しくほぼ同様である。