飯田エリ子
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飯田 エリ子(いいだ えりこ、昭和36年(1961年)1月18日 - )は、オウム真理教の元幹部のひとりである。
ホーリーネームは最初はラクシュミーだったが、後にサクラーとなる。
略歴[編集]
神奈川県横浜市の出身。入信前はハマのエリ子と呼ばれる有名なズベ公であったという。
保険会社で働いていた昭和59年(1984年)にオウム神仙の会(オウム真理教の旧名)に入会する。
オウムにおける階級(ステージ)は正悟師で、後にオウムが省庁制を採用した際には東日本の信者を統括する東信徒庁長官の地位に就く。
並外れた美貌と、保険会社で身に付けた勧誘テクニックにより、部外者をオウムに入信させる腕前は教団内で最高だったという。
最高幹部の石井久子は飯田エリ子に勧誘されてオウムに入ったと言われている。
オウム信者の岡崎一明と交際していたらしい。
平成7年(1995年)の目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件では逮捕監禁致死罪により逮捕・起訴される。
平成8年(1996年)10月26日の第一審では懲役7年の判決を下されて控訴し、平成10年(1998年)9月10日の控訴審では懲役6年6ヶ月の判決が下され、上告せず刑が確定した。
服役中の平成14年(2002年)3月に脳内出血のため倒れ、2度の手術を受けて車椅子に乗れるほどに回復するも、記憶に深刻な障害を負った。平成14年(2002年)8月25日に刑期満了で出所。
その他[編集]
勧誘を受けたある人は、オウムの倫理に関する質問をする際に「このネエちゃんを困らせてやれ」と思って飯田エリ子にセッ○スやオ○ニーに関する質問をしたが、平然と答えるので驚いたという。