韓 胤(かん いん、? - 197年)は、中国の後漢末期の武将。袁術の家臣。
197年に皇帝を称した袁術が呂布と同盟を結ぶために韓胤を派遣し、同盟の証として呂布の娘と袁術の息子の縁談がまとまったが、当時呂布の家臣であった陳珪が袁術と婚姻を結ぶことの非を主張したため呂布も考え直し、婚姻を破棄して韓胤を捕縛し、曹操の下へ護送した[1]。曹操は許昌において韓胤を処刑し、晒し首にした[1]。
『三国志演義』でも史実と同じだが、呂布の参謀である陳宮を説得する場面がある。