青木市左衛門

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青木 市左衛門(あおき いちざえもん、生没年不詳)は、安土桃山時代武将石田三成家臣

略歴[編集]

石田三成に仕え、慶長元年(1596年)に近江国浅井郡尊勝寺地方の代官を務めた[1]

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、三成に従って鉄砲頭として出陣し、東軍に捕らえられた。本戦の後、徳川家康の命令で三成の居城・佐和山城へ送られ、関ヶ原の状況を三成の父・石田正継をはじめとする石田氏一族に報告して、籠城することの無益なことを教えたという[2]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. 平野庄郷記』中巻
  2. 安藤「石田三成のすべて」P196

参考文献[編集]