難台山城
ナビゲーションに移動
検索に移動
難台山城(なんだいさんじょう)とは、現在の茨城県笠間市上郷2899にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
旧西茨城郡岩間町の西端、海抜553メートルの難台山に存在した山城である。
至徳4年/元中4年(1387年)3月、南朝方の小山孝朝・小山若犬丸らが挙兵したため、足利義満は常陸国の守護・佐竹義宣に討伐を命じた。義宣の妹は孝朝の妻だったことから討伐には消極的で調停に尽力し、それに応じて孝朝は降伏したが、若犬丸は応じずに抗戦。義宣は討伐に乗りだし、兵糧攻めに持ち込んで元中5年/嘉慶2年(1388年)5月に落城させた。これにより、常陸における南朝勢力は衰微し、関東における室町幕府の威信が確立するのと同時に、佐竹氏が常陸において大きな勢力を持つ契機にもなった。
城跡は南北およそ70メートル、東西はおよそ180メートル余りで、空堀や土塁の一部が現在にわずかに残されている。茨城県の史跡に指定されている。
難台山の中腹にはスズランの群生地があり、その自生南限地帯とされている。
アクセス[編集]
- 北関東自動車道・友部ICから25分。
- 常磐自動車道・岩間IC]]から25分。
- 常磐自動車道・石岡小美玉スマートICから30分。