阿波伊沢城
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阿波伊沢城(あわいさわじょう)とは、徳島県阿波郡阿波町岡地に存在した城である。現在は城跡のみで、遺構は残っていない。吉野川に架かる瀬詰大橋の北約500メートルの伊沢八幡神社の傍にある蛭田池が伊沢城の庭園・内堀だったと言われており、その西の桑園が城跡と言われる。
概要[編集]
治承3年(1179年)に伊沢家景がこの地の主として屋形を築いたのが始まりとされる。家景は源頼朝に仕えて奥州藤原氏討伐で戦功を挙げた。
戦国時代の天正4年(1576年)に細川真之が那賀郡仁宇谷で反三好長治の挙兵をした際、当時の伊沢城主の伊沢頼俊は一宮城主の一宮成祐らと呼応して挙兵し、天正5年(1577年)3月に三好長治を長原に追い詰めて自殺させた。だが同年5月、三好長治の残党である矢野駿河守により頼俊は自殺を余儀なくされ、伊沢城は落城した。
アクセス等[編集]
- アクセス:阿波山川駅から徒歩15分。