銭 博(せん はく、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。
最初は交州刺史・張津の家臣だったが、張津が部下の区景に暗殺されると高涼を占拠して勝手な振る舞いを行なった[1]。220年に孫権が呂岱を交州刺史として送り込むと降伏し、孫権から高涼西部都尉に任命された[1]。