述語
述語とは、「単名称に対して文法格を一意に要求する語」である。フランスの数学者であるルネ・トム(位相幾何学/トポロジー。カタストロフィ理論で知られている)が「原始文章」と呼んで18種に分類したが、「自殺の形態」にあたる形が見つからないので、「たぶん十七種だろう」と長尾真は述べている。
概要[編集]
いわゆる「単文」は、述語があり、その述語が要求する文法格を担う「単名称」が一意に存在するとされる。
各国語における述語[編集]
日本語[編集]
日本語における述語は三種類あり、動詞・日本語の形容詞・助動詞「だ・です・である」である。
「お前らはラーメンとミニ餃子と半チャーハンのセットを頼め」は述語「頼む」が、主格としての単名称である「お前」と対格としての単名称である「ラーメンとミニ餃子と半チャーハンのセット」を要求しているということになる。
これが、「お前ら」ではなく熊井と太田であり、「ラーメンとミニ餃子と半チャーハンのセット」ではなくラーメン・餃子・チャーハンという単品だとすると、「熊井は太田はラーメンを餃子をチャーハンを頼め」というと「単名称に対して文法格を一意に要求する」という前提に反してしまうため、「述語」の定義から外れてしまうので、非・文法的な表現になってしまう。それゆえ、「〔熊井と太田〕は〔ラーメンと餃子とチャーハン〕を頼め」と表現され、述語と文法格の間の一意性が保たれる。
このような「述語と文法格の対応」は、意味表現において有効であろうという主張は、坂井秀寿『日本語と文法と論理』(くろしお出版)においてなされた。すなわち、日本語を論理式で表現し、それを既存の知識ベースとぶつけて操作したものを、ふたたび日本語に変換したものを応答として返すということで、人工痴脳は実現すると考えた。人工知能の分野における「中国人の部屋」問題とほぼ同義である。
そこで、日本語 J のサブセットである J' を定義し、それを論理式と相互に変換する翻訳規則を定義するという試みを行っている。
このとき日本語の「である」は、「A は B と同義である」なのか、「A は B の部分集合である」なのか、「A は B の要素である」のかが問題になるため、その人工痴脳がこなれて一定の「常識」を身につけるまでは、そうとう慎重な対話を行なわなければならない。助詞(助動詞)あるいは形態素とされる附属語も述語たる資格はあるため、「どの単名称がどの述語から文法格を要求されているか」を推定する確たるアルゴリズムは。現在のところ開発されてはいない。これがあるからかけ算の順序問題などがややこしいことになる。
たとえば「かけ算には順序がある」ことが正しいと教えてしまうと、「乗算の交換法則」は金輪際受け付けてくれない[1]。
西洋語[編集]
述語は、基本的に動詞である。名詞や形容詞を述語として使う場合は、日本語の「だ・です」に相当するコピュラ動詞を用いる形となる。コピュラ動詞は、ドイツ語だとsein、英語だとbe、フランス語だとêtreで、どの言語でも人称・数により大きく変化する。
一方、ロシア語では現在形でコピュラ動詞を用いず、動詞無しで名詞や形容詞を述語として用いる。
参考文献[編集]
脚注[編集]
- ↑ これを「ダグラス・ホフシュタッター・ループ」という。映画『二〇一〇』では、HAL9000 はダグラス・ホフシュタッター・ループに陥ってフランク・プール飛行士を殺したということになっている。