趙セン

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趙 セン(ちょう せん、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家叔茂(しゅくぼう)[1]

生涯[編集]

京兆郡長陵県の出身[1]。後漢朝廷に仕えて尚書選部郎となる[1]董卓政権を掌握した際に任官を求められたが拒絶したため董卓の怒りを買い殺されかけるが、平然と事の理非を述べて応じたので董卓は謝罪して解放した[1]

192年に董卓、次いで王允が殺され、王允の遺体は李傕を恐れて誰も近づかなかったが、彼は官位を捨てて王允の遺体を引き取り埋葬した[1]。その後、荊州劉表を頼って仕えたが、曹操が荊州を平定すると丞相掾となった[1]。そして曹丕の司馬、鍾繇の長史を務め、60歳余りで死去した[1]

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 小出『三国志武将事典』P20

参考文献[編集]