費曜
ナビゲーションに移動
検索に移動
費 曜(ひ よう、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏の武将。
生涯[編集]
220年に張進が酒泉で反乱を起こした際、曹真の命令により鎮圧に赴いて張進を討つ[1]。張既と共に異民族の反乱も討伐した[1]。228年に諸葛亮が陳倉を包囲した際には曹真の命令で陳倉の救援を務めた[1]。
231年の諸葛亮の北伐では司馬懿に従って後将軍として参戦した(『晋書』)。
『三国志演義』では費 耀と書かれている。第97回で曹真に従い出陣し、元魏に仕えていた蜀将の姜維の内応の手紙を偽計と疑い、曹真に代わって出陣する。彼の思った通り偽計であったが既に時遅く、退路を断たれて火攻めにされ、降伏を拒否して潔く自害。この際に預けられた5万の兵の内、3万が戦死した事にされている。