西田照見

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

西田 照見(にしだ てるみ、1930年 - )は、社会思想史家。

法政大学大学院修了(政治学修士)[1]立正大学法学部教授を経て、2001年4月1日名誉教授[2]

明治時代の判事・政治家である西田忠之のひ孫で、1999年に西田忠之の所蔵文書・資料等を法政大学ボアソナード記念現代法研究所に寄贈した(西田文庫)[3]

かつて黒田寛一弁証法研究会に参加していた。光岡昇[4]光岡のぼる西田文揚の別名を持ち[5]、手記「マルクス主義哲学者黒田寛一の秘密」(光岡昇名義、『真相』149~153号、1961年10月~1962年5月)、「黒田寛一理論への批判」(『現代の理論』1972年3月号)、「戦後左翼の証言 初期革共同、黒田寛一周辺のスパイ摘発を巡って(上・下)」(『先駆』2018年7月号・8月号)などの著作がある。

著書[編集]

  • 『マルクス思想の限境――エコロジー時代の社会思想』(新評論、1979年)
  • 『現代文明の哲学的考察』(田上孝一共編著、社会評論社、2010年)

出典[編集]

  1. 西田照見、田上孝一編著『現代文明の哲学的考察』社会評論社、2010年
  2. 名誉教授 学校法人立正大学学園
  3. Vol.73 「西田文庫」 法政大学
  4. 小島亮『ハンガリー事件と日本――一九五六年・思想史的考察』中公新書、1987年、210頁
  5. 吉沢功司編「黒田寛一年譜」、大久保そりや高知聰喜里山博之長崎浩降旗節雄富岡裕成岡庸治『黒田寛一をどうとらえるか』芳賀書店、1971年、329頁